奈良とガラス玉 [その他]
仕事の打ち合わせで関西へ行って参りました
素敵な皆様とお仕事をさせていただけていることに感謝する日々です
打ち合わせが無事に終わり、その日は夕暮れに奈良に着き宿泊しました。
日が沈むまでのわずかな時間、猿沢池周辺を散策しました。
鹿さんが迎えてくれました
紅葉もまだ残っていて美しかったです。
翌日は大和西大寺で降り、目的の平城宮跡のガラス玉を見に行きました。
その前に西大寺にてお参りをしました。
私は大和西大寺に4年間住んでいた時期がありましたので、その時の御礼もしたくお参りして参りました。
十一面観音立像や四天王像を初めて拝見し、住んでいた頃は本堂を一度だけしか拝見したことがなかったので驚きと感動でした。今回は愛染明王像も拝見することができました。
そして平城宮跡へ
私が住んでいた頃は朱雀門しかなかったのですが、今やたくさんの建物が建っていて驚きました。
早速、ガラス玉を探し、見つけました
ガラス玉が国産で作られるようになったのが600年代後半の飛鳥時代からだそうです。
なので、平城宮跡のガラス玉も国産ということになります。
ガラスを溶かす坩堝(るつぼ)や鋳型が展示してありました。
この時代は鋳型だったんだと思いました。今、私達がしている技法は巻き取り法というそうです。巻き取り法にするには火力とかいろいろ調整が必要だからかな?とか考えていました。また研究者の方にお会いできたら伺いたいなと思いました
鋳型の真ん中に穴がありますが、ここに植物の枝のようなものを刺して、ガラスの粒?を入れて焼いたそうです。
撮影禁止のところには用途の説明もあり、鎮壇具として使われていたそうでした。
鎮壇具には、ガラス玉の他に、炭、稲籾、水晶が小壺に入れられていたそうです。
上野の国立博物館にあったガラス玉もやはり鎮壇具としてとありました。
鎮壇具とは
堂塔建立の際、土地の神を祭り鎮めるために用いられる祭具。須弥壇の下に副葬品などと共に埋められる
(ネットより)
興福寺の国宝館にある鎌倉時代の弥勒菩薩像にはこの写真のサイズくらいのガラス玉が装飾品としてたくさん着いていました。
江戸時代では、ガラス玉の製造方法は秘宝だったそうです。
今まで、江戸時代と鎌倉時代の前後もわからなく、興味もない歴史音痴の私でしたが(笑)歴史を知るというのは先人の積み重ねてきた想いであり、それは未来にも繋がるものだなと感じています。
今は とんぼ玉はアクセサリーとして流通しています。それはそれで経済を支える為に素晴らしい必要なことと思います。
一方で、本来の姿、先人達の想いを伝えることもしていけたらなと私は思いました
また可能な限り全国ガラス玉の旅をライフワークにしていきたいなとも思いました
京都駅から新幹線を待っている時、京都タワーにかかる虹がとても美しく見ることができました
皆様にもたくさんのさらなる御幸せが降り注ぎますように
想いを込めてとんぼ玉を作ってみませんか\(^o^)/
クリスマスとんぼ玉体験始まっております
https://askusatonbo.blog.so-net.ne.jp/2018-11-11
雪だるま体験
https://askusatonbo.blog.so-net.ne.jp/2018-10-22
浅草とんぼ玉工房
http://www006.upp.so-net.ne.jp/asakusatonbo/index.htm
素敵な皆様とお仕事をさせていただけていることに感謝する日々です
打ち合わせが無事に終わり、その日は夕暮れに奈良に着き宿泊しました。
日が沈むまでのわずかな時間、猿沢池周辺を散策しました。
鹿さんが迎えてくれました
紅葉もまだ残っていて美しかったです。
翌日は大和西大寺で降り、目的の平城宮跡のガラス玉を見に行きました。
その前に西大寺にてお参りをしました。
私は大和西大寺に4年間住んでいた時期がありましたので、その時の御礼もしたくお参りして参りました。
十一面観音立像や四天王像を初めて拝見し、住んでいた頃は本堂を一度だけしか拝見したことがなかったので驚きと感動でした。今回は愛染明王像も拝見することができました。
そして平城宮跡へ
私が住んでいた頃は朱雀門しかなかったのですが、今やたくさんの建物が建っていて驚きました。
早速、ガラス玉を探し、見つけました
ガラス玉が国産で作られるようになったのが600年代後半の飛鳥時代からだそうです。
なので、平城宮跡のガラス玉も国産ということになります。
ガラスを溶かす坩堝(るつぼ)や鋳型が展示してありました。
この時代は鋳型だったんだと思いました。今、私達がしている技法は巻き取り法というそうです。巻き取り法にするには火力とかいろいろ調整が必要だからかな?とか考えていました。また研究者の方にお会いできたら伺いたいなと思いました
鋳型の真ん中に穴がありますが、ここに植物の枝のようなものを刺して、ガラスの粒?を入れて焼いたそうです。
撮影禁止のところには用途の説明もあり、鎮壇具として使われていたそうでした。
鎮壇具には、ガラス玉の他に、炭、稲籾、水晶が小壺に入れられていたそうです。
上野の国立博物館にあったガラス玉もやはり鎮壇具としてとありました。
鎮壇具とは
堂塔建立の際、土地の神を祭り鎮めるために用いられる祭具。須弥壇の下に副葬品などと共に埋められる
(ネットより)
興福寺の国宝館にある鎌倉時代の弥勒菩薩像にはこの写真のサイズくらいのガラス玉が装飾品としてたくさん着いていました。
江戸時代では、ガラス玉の製造方法は秘宝だったそうです。
今まで、江戸時代と鎌倉時代の前後もわからなく、興味もない歴史音痴の私でしたが(笑)歴史を知るというのは先人の積み重ねてきた想いであり、それは未来にも繋がるものだなと感じています。
今は とんぼ玉はアクセサリーとして流通しています。それはそれで経済を支える為に素晴らしい必要なことと思います。
一方で、本来の姿、先人達の想いを伝えることもしていけたらなと私は思いました
また可能な限り全国ガラス玉の旅をライフワークにしていきたいなとも思いました
京都駅から新幹線を待っている時、京都タワーにかかる虹がとても美しく見ることができました
皆様にもたくさんのさらなる御幸せが降り注ぎますように
想いを込めてとんぼ玉を作ってみませんか\(^o^)/
クリスマスとんぼ玉体験始まっております
https://askusatonbo.blog.so-net.ne.jp/2018-11-11
雪だるま体験
https://askusatonbo.blog.so-net.ne.jp/2018-10-22
浅草とんぼ玉工房
http://www006.upp.so-net.ne.jp/asakusatonbo/index.htm
2018-12-14 12:38
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